イズミ株式会社

2010/8/6 金曜日

ヘヴン(川上美映子著)

Filed under: — webizumi @ 13:33:14

■2010年8月6日

 

 主人公のいじめられっこ(男子)に 同じくいじめられこの女子コジマから手紙が届く。

 

 いじめられっ子の2人は手紙のやりとりを通して交流を深めていく。

 

 主人公は斜視、コジマは貧乏で汚い格好がそれぞれイジメられる原因だと思っている。

 

 コジマは ひどいイジメを受けながらも きっと何か意味があるんだ と それを受け止めようとする。

 

 筆舌しがたい暴力を受け、自殺までよぎる主人公。

 

 一方で、イジメの主犯格ではないが イジメに理由なんてない と言いきる百瀬。

 

 いじめる、いじめられるは たまたまのことで、できることできないこと、したいことしたくないことがあって、それをやっているだけのことだと言う。

 

 はたしてイジメに 意味があるのか? ないのか?

 

 コジマと百瀬 どちらの意見にも一部理解できるような、でも心から納得はできないような、その難しさの中で悩む主人公。

 

 文中に出てくるほど陰湿かつ暴力的なものではなかったが、イジメをする側にもされる側にもなったことがある私も、振り返ってみるとその理由がなんだったのか分からない。

 

 その当時は、こうすればイジメをやめることができる、イジメをやめてもらうことができる ということは全く思いつかなかったし、今でもそうだ。

 

 精神的に大人になれば・・・とも思ったが、大人の世界でもイジメはある。

 

 色々な感情が混ざり合って突き詰めて考えるとこれといった答えにたどりつけない、そんなリアルさを感じ、イジメの複雑さを考えさせられた。

 

 昔からイジメはあったが、テレビなどのニュースで見る限り、ものすごく陰湿化、暴力化しているように思う。

 

 まだ気は早いが いじめる側の子供?いじめられる側の子供?としての親として イジメ問題と関わっていく可能性があることを考えると、どうしたらいいのか正直分からない。

 

 

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